1980年に創刊された小学館の写真雑誌「写楽/SHAGAKU」
「しゃらく」ではなく、 「しゃがく」 と読む。
「音」を「楽しむ」⇒「おんがく」
「写」を「楽しむ」⇒「しゃがく」
というコンセプトである。
画像は、大好きだった山口百恵の引退直前の特集が載っている1980年10月号。

「百恵が消える」 というタイトルで、写真と文は篠山紀信。
デビューから7年間、山口百恵を撮り続けた篠山紀信の百恵論。
今読み返しても興味深いが、驚くのは篠山紀信の文章力。

山口百恵を「時代と寝た女」と表現し、

「何年かたって自分たちが1970年代という時代を語るとき、そこには必ず百恵があらわれ、百恵を語るとき自分たちはそういえばあのときというふうに、1970年代を思い浮かべるにちがいない」

「ぼくは百恵は時代と見事に寝たと思う。それもものの見事に時代を寝とってしまった稀有な女だと思う」
と表現している。

ちなみに、百恵の曲の歌詞をずっと書いてきた阿木燿子は、彼女のことを
「日本人一億人にとっての娼婦」
と形容したそうだ。

そして更にこう続く。
「こんな甘美な快楽を知ってしまった女が たった一人の男に嫁ぐというのは一体どういうことなのだろうか」
と。

また
「百恵の生き方を羨む人もいれば鬱陶しく思う人もいるだろう。だがぼく自身の考え方からすれば、生き方としてそれはやはり貧しいことだったのだと思う」
とまで書いていた。

文章の抜粋で、どこまで篠山紀信の真意が伝わるか分からないが、それだけ彼女の才能を愛し、引退を惜しんでいたのだということが伝わって来る。

物書きが専門ではないのに、これだけ読ませる文章を書けるというのは、篠山紀信の力量なのか。
それともこの文章を書かせた山口百恵がすごいのか。

もうひとつ印象に残った文章を引用しておく。

「ことわっておくが、ぼく自身が所望して個人的に百恵を撮ったということは一回もない。それは必ず芸能誌であれ、少年誌であれ、広告であれ、テレビであれ、映画のポスターであれ、すべてそのメディアの依頼によってぼくは百恵を撮ってきた。つまりそれだけ各メディアが山口百恵を受け入れ、必要としたのだ。時代が要請し、その集積が結果として1冊の写真集を生んだ。そこに時代の顔としての百恵の偉大さがある」

 

★「写楽/SHAGAKU」は数年間購入していたので、他の号も残っているはず。
見つかったら、また紹介しようと思う。