資生堂発行のフリーペーパー「花椿」に1980年に掲載されたものなので、伊藤蘭のファンの方でも、この記事は知らないかもしれない。
この企画では、1950年代に人気のあった女性向け雑誌「それいゆ」に掲載されていた中原淳一のスタイル画のファッションそっくりに、蘭ちゃんが装っている。
(作った人・小暮秀子/撮った人・小暮徹/着た人・伊藤蘭)
小暮徹「蘭ちゃん、中原淳一の絵って見たことある?」
伊藤蘭「いいえ、でもこのお仕事を受けたとき、お母さんに話したら、懐かしがっていましたよ。若いころ随分見ていたんですって。洋裁やっていたから」
小暮秀子「戦後すぐでた『それいゆ』っていう雑誌、中原さんが編集長だったのね。私、小学生のころ、それに載っていた中原さんのファッションのイラストを真似してたの。そのころからファッション・デザイナーになりたかった」
徹「中原さんて、可愛いものばかり好きだったみたい」
秀子「私すごくママゴトが好きだった。中学校の1年生までやっていたの」
蘭「私はママゴト道具、買ってもらえなかったの。だから中学生になっても、あのピンクのセルロイド見ると欲しかった」
秀子「おもちゃ屋の前に行くと、お人形とママゴト・セットとマリがぶら下がっているのね。胸がドキドキするほど好きだったの。それがその後、守屋浩に変わったんですけど」
徹「春の目覚めってヤツだ。蘭ちゃんはスクールメイツに入ったころは、誰か憧れていた人いるの」
蘭「タイガースのジュリー」
徹「ジュリーはグループ・サウンズの中では、一番中原淳一の世界だったよね。キャンディーズのデビュー曲『あなたに夢中』のレコード・ジャケットを見ると、衣裳なんかすでに『ジュニアそれいゆ』なんですよ」
秀子「私たち、中原淳一の服を着てもらうなら、絶対蘭ちゃんがいいって思ってたの。やっぱりそういうことがあったからかしらね」
蘭「中原淳一って知らなかったんだけど、こういう服ってなんとなく懐かしい感じがする」
秀子「今でも生きてるのよね、あの感覚。可愛いという言葉と一緒に」
徹「だから脈々と流れる昭和ラブリー史っていうのがあって、彼はその巨人なんだよね」
秀子「中原さんはパリに行ったころから、ヘップバーン的イメージが好みだったみたい」
徹「日本人だと浅丘ルリ子でしょ。そして最近になって、ラブリー史の系譜に伊藤蘭なんて人がでてきたわけだ」
秀子「中原さんには、何か日本人の考える普遍的な可愛らしさがあるってことじゃない?」
徹「日本人の感性の切り札なんだよね。高田賢三も、可愛らしさで世界的になったんだし・・・・・」
秀子「中原さんはセクシーなものって、ほとんど追求してないみたい。むしろ排除しているような気がする。蘭ちゃんもどっちかというと、そういう感じだったじゃない」
徹「中原さんが今も活躍していたら、あなたは『それいゆ』のモデルだよ、きっと。中原さんの先輩の竹久夢二は知ってる?」
蘭「ウン」
徹「血を吐かないと女じゃないみたいなの」
蘭「私、そういう風なの好きだわ」
秀子「私はどっちかというと、中原さんの方になりたいな。夢見がちで・・・・・」
徹「現代ならサンリオだろうね。キティちゃんはノンセックスだしね」
秀子「可愛らしさにおいては通じるものがあるわね」
蘭「売場なんかにいくとすごくうれしくなっちゃうのよ」
徹「花をきたないっていう人は少ないの。みんなきれいというわけじゃない。中原淳一も花と同じなんだよ」
秀子「彼が描く女の子って、みんな生活にも困ってないし、何も不自由してないって感じ」
徹「時代のせいで、あまりぎれをめいっぱい使うっていうのはあるけど」
秀子「でもモデルはどこかの御令嬢というか、上品な感じ」
徹「そこがいいんだよ。でも最近の仕事では、すごくおもしろかったな」
秀子「私も」
蘭「ヘアスタイルやメイクアップをきめて、こういう風に撮ってもらったの、初めて。ポーズを決めて撮るのなんてのも、おもしろかったわ」
「資生堂花椿」1980年6月号掲載
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