1975年 オーストラリア映画 (1986年日本公開)
監督:ピーター・ウィアー
出演:レイチェル・ロバーツ、ドミニク・ガード、ヘレン・モース、アン・ランバート 他

【ストーリー】
1900年2月14日、オーストラリア・ビクトリア州にある寄宿制女子学校の生徒達が郊外の岩山 ハンギング・ロックへピクニックに出かけた。 引率するのは数学教師のミス・マクロウとフランス語教師のポワティエ嬢(H・モース)の二人。
厳格な学園長ミセス・アップルヤード(R・ロバーツ)の経営するこのカレッジの生徒はその殆どが良家の子女達だが、その中の一人、孤児のセーラだけは学費の滞納を理由にピクニックへの参加を許されなかった。
ハンギング・ロックは数百年前に遡る火山の隆起で出来上がった奇岩。
正午前、夏の暑い日差しの中、岩のふもとへ到着した一行は、窮屈な寄宿舎生活から開放された束の間の時間を思い思いに楽しんだ。そして何故か、時計の針は正午で止まっていた。
皆が午睡に浸る中、ミランダ(A・ランバート)を始めとする4人の生徒達はポワティエ嬢の許しを得て、岩山の探索に出かけた。岩山に呼ばれるように上って行く少女達。
しばらくしてその中の一人が泣き叫びながら岩山を駆け下りて来た。3人の姿が消えたと言う。
そして不思議なことに数学教師の姿も忽然と消えていた・・・・

2月14日、聖ヴァレンタインの日、南半球では真夏なのに、この女子校で外出の際に許されるのは、白い手袋を脱ぐことくらいである。それも町中を抜けてから。
そんな一行と未確認飛行物体の現れそうな奇岩ハンギング・ロックの組合わせはとても奇妙。
英国の伝統的な作法をこの気候風土の中に込むこと自体が極めて不自然で、アップルヤード学園の存在もまた 歪である。この歪んだ世界が崩壊していくことは当然のように思われる。

実際の事件をもとにしている映画だが、解けない謎に満ちた1本である。
3人の生徒が岩山で消え、一人だけは後に発見されるが、その間の記憶は失っている。
物事に動じない数学教師ミス・マクロウの失踪もまた不思議。その様子は生徒の口から 語られるが、かなり奇妙でかえって不気味。これはここでは伏せておこう。

そして消えたミランダは最初から何もかも分かっていたように見える。
「私はもうここには長くいない」
「すべては始まり、そして終わる。正しい時間と場所で。」
彼女の唇からこぼれる謎めいた言葉。
映画の冒頭も「見えるものも 私たちの姿も ただの夢 すべては夢の中の夢・・・」というポーの詩の 引用で始まる。その声は漂うように儚い。
ミランダの魅力が陽(太陽/黄金)としたら、薄幸のサラは陰(月/銀)のようでどちらも美しい。
また、学園と共に崩壊していくミセス・アップルヤードの様子は凄まじく、演じるレイチェル・ロバーツ自身、自殺と言う形で自分の人生に終止符を打っている。

押し花作り、詩の暗誦、花を浮かべたボウル、白いレースのドレス、リボン、カードの交換、細々とした可愛らしいもの、凛とした美しさ、男たちが決して入り込めない一種の聖域。ここに現れる少女像は理想化されたものだが、少女時代とはいつのまにか過ぎ去っていく、大人でも子供でもない曖昧な時期、かけがえのない貴重な時間なのだろう。

とても美しい映画だが、私にとっては不安を搔き立てられる怖い映画だった。